弥生時代の遺跡:吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡:大規模な環濠集落跡

吉野ヶ里遺跡は、佐賀県吉野ヶ里町と神埼市にまたがる脊振山地南麓から平野に伸びた丘陵にある大規模環濠集落跡です。
現在、特別史跡を国から指定された、国営吉野ヶ里歴史公園として整備されています。
それだけ歴史的価値の高い史跡であることが分かります。

丘陵地にあり、縄文海進で近くが海だった場所で近くに森林があり、風水害の被害、ある時は外敵の侵略を防御しやすいところを選んで住んだものと推定できます。
この水辺だったと推定される場所から多数の弥生時代の遺跡が見つかっています。

Google Mapから引用して加工

吉野ヶ里遺跡の最大の特徴は、環濠集落です。
吉野ヶ里遺跡では水を張った形跡がないため、サンズイではない環壕を使います。
外濠と内濠の二重構造で、弥生時代後期には約40Haの広大な範囲を濠が囲みました。
内濠は2つあり、北の集落は北内郭、南の集落は南内郭と呼ばれています。
環濠、城柵、物見櫓等で堅固に守られた内側に人々が住み、祭壇など祭祀の場を備え青銅器や鉄器、木器、絹布などの手工業生産や、人々が集う交易の市が推定され、
弥生都市とも呼べるような邪馬台国時代のクニの中心集落へと発展した姿を見ることができます。

弥生時代700年の「邪馬台国」時代の日本をイメージ

紀元前4世紀頃、吉野ヶ里丘陵の中に集落が形成され始め、大規模な集落へと発展していきました。
吉野ヶ里歴史公園としてわかりやすくこの時代の特徴を再現していて、まさに卑弥呼のいた空間をイメージさせてくれます。
その中でも、甕棺墓列、石棺、土坑墓は約500基が発掘されていて、共同墓地として埋葬されたと思われます。
甕棺墓のひとつから人骨とともに前漢時代の銅鏡連弧文昭明鏡が出土しています。
吉野ヶ里遺跡近くの三津永田遺跡からは、素環頭大刀、流雲文獣帯鏡を含む漢式鏡が発掘されています。
その他、二塚山遺跡などの周辺遺跡からも漢式鏡が発掘されています。

安永田遺跡という佐賀県鳥栖市安永田にある弥生時代中期後半から末までの遺跡からは、石製銅鐸鋳型片・砥石・石製銅矛鋳型片・鞴羽口片・方形炉跡状遺構が発掘されています。

邪馬台国の中心が吉野ヶ里遺跡を含む佐賀県にあったのかは不明ですが、ひとつの候補であることはいえるでしょう。

倭国大乱を思わせる戦いの形跡

甕棺内の人骨には、矢じりが刺さったもの、首から上が無いものなどがあり、倭国大乱を思わせる戦いを感じ取れます。
3世紀末から4世紀の始め頃、吉野ヶ里の集落は突然途絶えてしまいます。
環壕の中に、生活土器などを捨てて途絶えていたり、周辺遺跡は残っていることから自らこの地を捨てて出ていったのはないかと推定されています。
弥生海退といわれる平野の形成で、南部の暮らしやすい土地に移住したのでしょうか。

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