大平山元I遺跡:日本列島最古の土器【更新】

大平山元Ⅰ遺跡(おおだいやまもといちいせき) (青森県東津軽郡外ヶ浜町字蟹田大平山元)から発見された土器が、炭素14年代測定法によって、約16,500年前のものであると推定されました。
この土器に用いた炭素14年代測定法は、年輪や珊瑚年代を使って暦年に換算する国際校正曲線 (INTCAL 98)を使ったものなので当時の最先端技術を用いた制度の高い測定でした。

二度の発掘調査を通じて出土した土器は合計78点となり、長者久保文化期に既に土器が存在したことが明確になりました。

旧石器時代の特徴を持つ石器群とともに、土器と石鏃も出土しています。
土器片は模様のない無文土器と推定されています。

土器の内側に炭化物が付着しており、食料の煮炊きに使ったものらしいです。
大平山元I遺跡は、蟹田川左岸の標高約25mの河岸段丘上に位置するので、もしかすると鮭を石鏃でとって、土器で煮て食べていたのかもしれません。

大学ジャーナルより引用
青森県の大平山元遺跡で発見された世界最古の石鏃(※1、せきぞく)、世界最古級の
土器の出現時期が日本列島の最寒期だったことが、川幡穂高東京大学大気海洋研究所
教授の研究で分かった。
当時の縄文時代の気候は現在の北海道根釧地方より寒かったとされ、水産物を縄文土器
で煮て食べていたのではないかと考えられている。
 東京大学大気海洋研究所によると、川幡教授はアルケノン水温(※2)という手法を
用いて本州最北端の下北半島沖で過去2万7,000年の夏の気温と水温を復元した。
その結果、温度が最も高かったのは6,670年前の気温20.0度、水温19.4度、最も低か
ったのは1万5,680年前の気温5.2度、水温8.7度であることが分かった。
現在の青森県は気温16.7度、水温15.7度で、最低だった時期は現在より7~11度低かった。
大平山元遺跡で発見された世界最古の石鏃、世界最古級の土器の出現は、1万6,500~
1万5,500年前とされ、最も寒かった時期になる。

大学ジャーナルより引用

大平山元I遺跡の時代は大変寒い時代だったということです。
なぜ、このような寒いところに古代人は住んでいたのでしょうか?

寒いなりに動物とか魚とかが豊富で食べるのに困らなかったからなのか。
それとも、暖かく住みやすい南の地方には敵も多かったでしょうから、南の住民から逃げるようにやって来て、極寒の地で生きていくことを決意したという事かもしれません。
もちろん想像ですが。

19千年年前から縄文海進が始まっていますから、温暖な時期に入り、東北地方でも居住するに困らない環境だったとも推測できます。
勝手な推測になりますが、姶良カルデラが大爆発を起こすのが24000年前、九州南部に住んでいた海人が火山灰が堆積して住めなくなり、海流に乗って東北に流れ着いたということもありえます。

お得意のパチもん世界最古か?

2009年、中国・湖南省にある洞窟遺跡で約18千年前とみられる世界最古の土器片が発見されたと発表がありました。
地層からの推測なので、炭素14年代測定を行えばはっきりするでしょうが、測定されたと言わないところを見ると測定しているようではありません。
眉唾もののようです。
異議がでた後、炭素14年代測定を行って結論を出したと言い出したようです。

しかし、日本の専門家たちが調査させて欲しいと要請しても拒絶され、盗まれて今はもう無いとされる胡散臭い代物のようです。

付着物から測定したと言い張っていますが、付着物を改竄したりできるので第三者の評価・検証が必須ですが、それを拒否しているのが怪しすぎます。

なんでも中国由来にしたがる人々にとっては、日本から世界最古の土器が発見されては困るということは確かのようです。

縄文時代草創期の土器片

大平山元I遺跡の土器片、どこからどうみても世界最古の土器片であることは間違いありません。
そして、重要なのが縄文時代の始まりの土器であったということです。

無文土器なのに縄文時代のものというのもおかしな話です。

それはそうと、縄文時代が4500年遡りました。簡単に4500年というけど、これは結構長い時間です。西暦2000年の2倍以上ですから。

とにかく、旧石器時代が終わり、縄文時代が始まる時期が変更されることは確かです。

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