日本人の祖先をDNAで探る:Y染色体ハプログループの流れ
崎谷満氏は、現生人類は出アフリカ後、南ルート、北ルート、西ルートの3方向に拡散した
としており、Y染色体ハプログープCの下位系統(の祖型)はそれぞれ分かれて別ルートを進んだ。
と言っている。
さらに、崎谷満氏は、
Y染色体 ハプログループD
ハプログループDは、南北アメリカ大陸(ネイティブ・アメリカン)では全く見つかっていない。
D系統は東アジアにおける最古層のタイプと想定できるが、一つの説として東アジア及び東南アジア
にO系統が広く流入した為、島国日本や山岳チベットにのみD系統が残ったと考えられている。
そのため形質人類学的には古モンゴロイド(アイノイド)の分布と相関しているようである。
朝鮮半島では、ハプログループD系統が見られるが、これは近世にチベットからモンゴル経由で
入ってきたD1a1や、弥生時代に日本列島から朝鮮半島へ北上したD1a2aの系統であろうと推測
されている。
Y染色体 ハプログループO
ハプログループOは、おおよそ4万年前にハプログループNと血筋が分かれた。
現存のハプログループOの最も近い共通祖先は同じく35,000年前に生きたとされる。
華北平原や長江流域などの豊かな地域を中心に、多岐に渡るサブグループを産み出し、
これらの地域から東アジアや、東南アジアからポリネシアに至るまで広範囲に拡散したと
考えられている。
と言っている。
二重構造モデルは間違いだった
このように、中国、朝鮮半島由来の民族が日本を一気に征服したという騎馬民族日本征服論は
分子生物学であるDNA分析からも間違いだったことが判明しました。
まあ、少し考えればわかるように、言葉が全く通じない異質の人々が今の日本を作ったとは
考えられないということです。
ようやく科学がそれを証明してくれたのです。
さらに、「縄文人」「弥生人」という人種が別々に存在したというのも間違いだった
ということです。アフリカ単一起源説が定説となったからです。
「縄文人」も、Y染色体ハプログループの多様性からわかるように、多様な種が流入して
今の日本人を形成していることが判明したことから、単一ではなかったということです。
「縄文人」「弥生人」という区分けが歴史学において、まだ使われていますが、そろそろ
見直しの議論されてもいいのではないかと思います。