青銅器の伝播:弥生時代中期
青銅とは、銅(Cu)と錫(スズSn)の合金のことです。
例えば、10円硬貨は青銅製です。10円硬貨は錫の含有量が少なく、銅に近い色になります。
弥生時代の青銅器は、錫の含有量が多い白銀色の青銅を素材としていました。
青銅は他の金属に比べ、展延性といわれる加工のしやすく硬いという特徴をもつため普及しました。
世界史では青銅器時代の後に鉄器時代が到来します。
青銅器時代は紀元前30世紀頃から、鉄器時代は紀元前15世紀頃から始まります。
日本では青銅器時代と鉄器時代が同時に始まります。
同時代の青銅器・鉄器しか発見されていないということでしょう。
大陸から同時に日本にもたらされたことになります。厳密には同時ではないでしょうけど。
日本での青銅器には以下のものがあります。
- 銅戈
- 銅矛(銅鉾)
- 銅剣
- 銅鏡
- 銅鐸
銅戈(どうか)
読んで字の通り青銅で作られた戈(ほこ)です。
戈とは、両刃の剣に柄をつけた突き刺すための武器のことです。
日本では戦闘で使われた形跡の遺跡はなく、祭祀用に使われました。
銅戈の分布する地域は、北部九州の広形銅戈、大阪の近畿型銅戈が中心で、北限は長野県です。
銅矛・銅鉾(どうほこ)
銅矛とは、槍状の刃の下部が袋状で、そこに木の棒を差し込んで使用する青銅器の武器です。
銅矛は銅鉾とも書きます。
有名な遺跡では、島根県の荒神谷遺跡から銅剣・銅鐸とともに銅矛16本が出土しています。
大陸から伝えられて次第に大型化し、北部九州地域を中心に分布しました。
銅剣(どうけん)
銅剣とは、青銅で作られた剣です。(考古学での定義)
世界的に広がりを見せた銅剣ですが、青銅は鉄に比べ強度が弱く、日本では鉄器と同時期に到来したため、武器として利用された期間は短かったと考えられます。
そのため、銅剣は祭祀で利用されるようになり、戦争では鉄剣が用いられました。
島根県荒神谷遺跡から銅矛・銅鐸とともに358本もの大量の銅剣が出土し話題になりました。
銅鏡(どうきょう)
銅鏡とは、青銅で作られた鏡です。(考古学での定義)
銅鏡は、中国・朝鮮を中心に普及し、日本では祭祀・呪術ように利用されました。
日本では、弥生時代から古墳時代の遺跡でたくさんの銅鏡が見つかっています。
主な銅鏡の形式
- 三角縁神獣鏡
- 内行花文鏡
- 方格規矩鏡
- 平縁神獣鏡
大陸からの輸入品は、舶載鏡といい、国産は仿製鏡といいます。
銅鐸(どうたく)
銅鐸とは、青銅で作られた釣鐘型の銅鈴のことです。
銅鐸の鐸は、中国では柄付きの青銅器の楽器を意味し、日本ではそれに形が似ていることから銅鐸とよばれるようになったそうです。
ただし、日本でどのように使われたかは分かっていません。
関西を中心に出土しますが、九州北部、出雲でも見つかっています。
銅鐸も島根県の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡で大量に見つかっています。