四隅突出型墳丘墓

四隅突出型墳丘墓と出雲王国

四隅突出型墳丘墓は弥生時代中期以降、山陰、北陸、吉備地方で造成されたものです。
特に出雲地域の墳丘墓は四隅突出型墳丘墓の中心地として特徴的です。
島根県39基、鳥取県28基、福井県3基、石川県1基、富山県10基、広島県17基、岡山県1基、兵庫県2基などが知られています。

四隅突出型墳丘墓の分布

西谷3号墳丘墓

西谷三号墳丘墓(島根県)は2世紀後半に築造されたとみられる大型の四隅突出型墳丘墓です。
この西谷3号墳丘墓から特殊器台(特殊壺形)という土器が発見されています。
この特殊器台は吉備の土で造られていたことがわかり、吉備と出雲の連携関係が結ばれていた
ことを想定出来ます。
さらに最近の調査で、西谷3号墳丘墓の土器から、福井地方の特殊器台も発見されています。
北陸地方とも連携していたことが分かりました。

妻木晩田遺跡の洞ノ原墳墓群

妻木晩田遺跡(むきばんだ:島根県西伯郡から米子市)からは、竪穴住居、環濠、四隅突出型墳丘墓
などが出土、弥生時代後期から古墳時代初期まで続いた大山の山麓に広がる高地性集落の遺跡です。
高地性集落であり、魏志倭人伝に記載されている倭国乱の時代である2世紀後半に最盛期だったこと
から倭国大乱との関係が指摘されています。
妻木晩田遺跡の洞ノ原遺跡には大中小の四隅突出型墳丘墓など39基の墳丘墓があります。

倭国大乱:青谷上寺地遺跡

倭国大乱を想定できる遺跡が、鳥取県の青谷上寺地遺跡(あおやかみじち)から発掘された人骨です。
弥生時代後期(2世紀後半)の溝から大量の人骨(約90体以上)が散乱した状態で発見されました。
この中には、鋭い武器で刺されたり切られたりした傷跡の残る人骨もあります。
また人骨から性別や年齢を調べた結果、女性や子供も含まれていることがわかりました。
魏志倭人伝などに描かれた倭国大乱を象徴する遺跡と言えるのではないでしょうか。

四隅突出型墳丘墓は山陰、北陸で築造され、吉備や北陸の土器が埋葬されるなど、これらの地域が
連携していたことが推測できます。

2世紀後半から3世紀にかけての邪馬台国の時代、畿内の庄内式土器や布留式土器が、一部の吉備の
土器、山陰の土器とともに、北部九州に流入しています。

箸墓古墳からは、岡山地方の特殊器台や特殊壺と同じ特徴をもつ土器が出土しています。
これらより、日本海沿岸の出雲、山陰地方と瀬戸内地方との密接な関係を示唆しています。


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