縄文海進:縄文時代前期

縄文前期の出来事で重要なのは、縄文海進です。
縄文時代前期は約7000年前~5500年前の期間です。

縄文海進とは、縄文時代が全般に温暖化したことによる海面上昇です。

旧石器時代が終わる約19000年前から始まり、約6000年前にピークとなりその後は弥生海退が起こります。
とはいえ、世界中同じレベルで海面上昇が起こったのではないようです。

北米や欧州では海進というほどの海面上昇の痕跡は残っていないとか。

日本沿岸で縄文海進が起こった原因は、19000年前から始まった気温上昇により黒潮の海流の方向が変化し日本列島に近づいたため、日本が温暖化しました。
そのため、温暖化と海面上昇が同時に起こり、日本列島では縄文海進として海面上昇が多地域とくらべて大きくなったのです。

九州の縄文海進

産総研 海面上昇シミュレーションシステム

https://www.gsj.jp/HomePageJP.html

九州地方の縄文海進は上図のとおりです。
あくまでもイメージで正確な図面ではないですが、現在の福岡、佐賀、熊本市街地がほとんど存在しません。

面白いのは玄界灘(博多湾)と有明海が川でつながっていた可能性があることです。

吉野ヶ里遺跡が海の近くにあったのは、納得の話です。

ということで、今の都市がそのまま縄文時代に人口がおおかったわけではないことが分かります。
その後徐々に海が陸地に変わり、稲作を行う土地が増え、人口が増えたということでしょう。

現在の主な大都市は低地を干拓したり造成して出来た人工都市です。
縄文、弥生時代のように建築土木が発達していなかった時代に住むのは容易ではなかったはずです。

したがって、福岡の周辺地域の糸島、太宰府、菊池などが栄えたと思われます。

関西の縄文海進

上図は、大阪を中心とした関西の縄文海進の図です。
九州同様、大阪という大都市も海の中でした。
なぜ大阪ではなく奈良、京都だったのかが見えてきます。

大阪に人が住みだすのは弥生時代以降でしょう。
それも河内潟や河内湖として残ったので、古墳時代以降かもしれません。

上図で、上町台地といわれる半島が見えます。その東側が河内湾を形成します。
大阪城の近く、上町台地の森の宮遺跡からは縄文時代中期、約5000年前の貝塚十数点の人骨が発掘されています。
陸地で海に近かった証拠です。

その他、名古屋、東京も縄文海進の影響で今の陸地と形が違いました。
今の埼玉県大宮あたりまで海だったそうです。
関東平野もほとんど海の中か湿地だったようで、千葉、茨城、群馬あたりが栄えたのでしょう。
群馬県から古墳が見つかるのもそのためでしょうか。

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