天皇のお名前
天皇のお名前はどうやって付けられたの?
漢風諡号
諡号というのは中国が発祥で、貴人や王様に死後贈られる名前のことです。
紀元前9世紀の殷時代からあるものだそうです。
日本では奈良時代頃から天皇の崩御後の称号に、諡号と追号が贈られました。
諡号は生前の行いを尊んで贈る美称のことで、追号とは、関係のあった地名や年号から付けられる名です。
諡号には主に、漢風諡号と和風諡号があります。
現在、私たちが一般的に使っているのがこの漢風諡号です。
漢風諡号は、淡海三船(おうみのみふね)が神武天皇から元正天皇までを撰定したとされます。
淡海三船の選定には、持統天皇までとか、光仁天皇までといった説もあります。
その後、平安時代の光孝天皇までこの漢風諡号が続き、鎌倉時代、室町時代、江戸時代後半までは追号が採用されます。
江戸時代後期の光格天皇から漢風諡号が復活します。
追号
漢風諡号が使われなくなった代わりに用いられたのが追号ですが、正式な諡号ではなかったらしいです。
鎌倉時代以降は院号が用いられました。
なんだかややこしいですね。
さらに混乱するのが、冷泉天皇以降は〇〇天皇とは呼ばれず、〇〇院と呼ばれたそうです。
冷泉院、後鳥羽院などです。
明治時代になって今の「〇〇天皇」になったとのことです。
和風諡号
さらに難しくさせるのが、和風諡号です。
この和風諡号ですが、和風諡号とよんでいいのは持統天皇から仁明天皇までで
それ以前の神武天皇から天武天皇までは正式な和風諡号ではないらしいのです。
持統天皇の和風諡号は、大倭根子天之廣野日女尊と高天原廣野姫天皇
諱(いみな)は、鸕野讚良(うののさらら)
諱は厳密には諡号とも違うのでさらにややこしい。ここでは触れないことにします。
神武天皇の神日本磐余彦尊とか天武天皇の天渟中原瀛真人も和風諡号っぽいけど
なんとなく和風諡号と言っているだけだそうです。
むずかしい!
ということで、天皇のお名前は漢風諡号、追号、院号、和風諡号などを元に
奉られたということのようです。
一世一元の制
諡号は光格天皇から復活したが明治天皇からは、一世一元の制により元号を追号としました。
明治維新の一世一元の詔以降は、皇室典範や元号法によって制度化されました。
最近ですと、昭和天皇が元号を追号としています。
上皇陛下、今上天皇は諡号・追号ではないです。
ご存命なのに諡号(おくりな)はおかしいですから。