邪馬台国と卑弥呼についての自説(2)
前回「邪馬台国と卑弥呼についての自説」の続きです。
邪馬台国の記事一覧です。
九州南部説を検討してみる
「九州の南部に邪馬台国があったのではないか」を検討しているのですが、魏志倭人伝だけでは情報が足りなく、状況証拠に頼るしかありません。
大元の魏志倭人伝がどうにも使い物にならず、状況証拠の精度にも影響でそうですが、いろいろトライしてみる価値はあるでしょう。
状況証拠として何があるのかといえば、
- 『日本書紀』『古事記』などの史料
- 神社の由緒
- 考古学の遺跡
- 地名、伝記、気候など
などでしょうか。
邪馬台国「宮崎説」はアリか
邪馬台国は九州南部、今の宮崎県にあったのではないかという考えが出てきました。
邪馬台国の南に狗奴国があるということは、最南の鹿児島を邪馬台国とすると辻褄が合わなくなります。
よって鹿児島は候補から消えます。
ここから考えると、熊本は確かに邪馬台国の候補になりますが、どちらかというと狗奴国ではないでしょうか。
これは諸説出ている中でも熊本を狗奴国とする主張が多いので、可能性は高いでしょう。
鹿児島と熊本も候補でしたが、以上の理由で一旦、宮崎に絞って検討してみましょう。
『日本書紀』『古事記』に状況証拠はないか?
倭国大乱が180年頃にあって、卑弥呼が死亡するのが248年頃というのは定説になっているようです。
では、この頃について『日本書紀』『古事記』ではどのように述べられているのでしょうか。
そもそも『日本書紀』『古事記』は信用できるのかという議論はここではしません。
私は、当時の時代背景による意図的な記述はあるものの、基本は日本最古の信用できる文献と認識しています。
『日本書紀』『古事記』の日向神話
『日本書紀』に「筑紫の日向の小戸の橘の檍原(阿波岐原)」と書かれたところがあります。
伊邪那岐尊が黄泉国から降臨し禊祓いをしたところです。
檍原(阿波岐原)は、今の宮崎海岸に比定されています。
日向の江田神社と住吉神社
宮崎市の江田神社は阿波岐原町(檍原)にある式内社で県社でもある古社です。
天孫降臨した伊邪那岐尊と伊耶那美尊を祀っています。
この近くに住吉神社があってこちらの主祭神は住吉三神です。
紀元前2世紀頃の遺跡があることから、このあたりは人が多く住んでいたのでしょう。
『続古今和歌集』や『新後拾遺和歌集』に住吉神社が詠まれていたりすることから、古来より「伊邪那岐尊が黄泉国から降臨し禊祓いした」という伝承があったことを裏付けます。
日向國風土記曰、臼杵郡内、知鋪郷
天津彦々火瓊々杵尊、離天磐座、排天八重雲、稜威之道々別々而、天降於日向之高千穗二上峯時、・・・於兹、有土蜘蛛、名曰大鉗小鉗二人奏言、皇孫尊、以尊御手、拔稻千穗爲籾、投散四方、必得開晴、于時、如大鉗等所奏、搓千穗稻、爲籾投散、即天開晴、日月照光、因曰高千穗二上峯、後人改號知鋪日向の国の風土記に曰はく、臼杵の郡の知鋪の郷
「東国の古代史」日向国風土記から引用
天津彦々火瓊々杵尊が天の磐座を離れ、天の八重雲を押し開き、勢いよく道を開いて進み、日向の高千穂の二上の峰にお降りになった。・・・その時、大鉗・小鉗という二人の土蜘蛛がいた。彼等が言うには「瓊々杵尊が、その尊い御手で稲の千穂を抜いて籾とし、四方に投げ散らせば、きっと明るくなるでしょう」。そこでその通りに多くの稲の穂を揉んで籾とし、投げ散らした。すると、空が晴れ、日も月も照り輝いた。だから高千穂の二上の峰という。後世の人が改めて智鋪と言うようになりました。
この日向国風土記の逸文で、「稲の穂を投げ散らかした」と、稲作農耕儀礼として述べられていることには重要な意味があります。
中国華南の農耕文化が取り入れられているのです。
そしてこの後、瓊々杵命は笠沙の御崎に御幸し、大山祇神の娘である木花咲耶姫命を娶り、子供を産みます。
いわゆる「海幸彦・山幸彦」伝承へと続きます。
「海幸彦・山幸彦」は海の民の伝承と考えられ、稲作民と海の民の融合物語となっています。
日向の地がこれらの伝承地であったことを示唆しているのではないでしょうか。
天孫族である稲作の民が、現地の海の民と婚姻し子供を儲ける話です。
後の神武天皇ご誕生につながっていきます。
日向の都農神社と都萬神社
日向の都農神社は、日向国一宮で、神武天皇即位の6年前創建と伝わる古社です。
都農神社のご祭神は大国主命(大巳貴命)です。
この付近には、円墳、前方後円墳20基を数える都農古墳群があります。
都萬神社は、西都市にある日向国二宮、式内社で県社です。
都萬神社のご祭神は木花咲耶姫命です。
西都市にある西都原古墳群は非常に多くの古墳が存在します。
このように、宮崎県中央部の西都原付近は『日本書紀』『古事記』の天孫降臨伝承地であるとともに、邪馬台国の候補地としても大きな可能性があると考えます。
さらに、生目古墳群、新田原古墳群、持田古墳群など古墳群が多く存在ます。
長くなったので、次回に続きます。